学校で覚えた事
劣等感 疎外感
社会に出て役立った知識は小学校中学年くらいのもので間に合った。
「テストは先生の指導力を計る物差し」 といいながら
みんなの前で「どうしてこんなのも解らないの?一年生からやり直して」
と俺の顔も見ず テストの答案ひらひらさせてクラスの笑いを誘ってた。
大人になった
成人した
でも 見えないランドセルはへばりついたまま 。
歳とるごとにどんどん重くなっていった。
ある日珈琲店に行った。
そこに一冊の本があった。
「職業としての政治とはなにか」(マックス・ウェーバー著)
小さく薄い本だった。
手に取ってみた。
パラパラめくって遊んでた。
マスターが「良かったら読んでみな。読めるならね。」
いつもみたいに、いたずらぽく茶化して言った。
「ちなみにそれお客さんがうちに置いてくれたやつ。中学校の先生だけど『難しすぎて 途中で読むの止めた。あげる』だってさ。」「1ヶ月で読めたらたいしたもんだよ。〇〇〇ならどれ位かかるかな?」と俺の名を呼び、 またいたずらぽく笑っていった。
ちゃんと顔見ながら。
生まれて初めて「本」と格闘した。
まさに格闘だった。 強烈な読書体験だった。
普段使ってる言葉ですら 「意味」が解らなくなった。
意味を解らず使ってた事に気づいた。
広辞苑を買った。
一言一句調べた
ノートに書き写した
何度も何度も質問した。
結局読了するのに 半年以上かかった。
読み終えた本は カバーが外れ メモや線引きでボロボロになってた。
ごめんなさい。
「どうだった?」
マスターの問いに
『「この歳でする勉強て 楽しいな」と思った。
テストもないし 比べられることもないし 忘れてもいいし。
言葉を調べてる時に 「共通の概念を結ぶ事」で作者と会話してるように感じた。』
みたいな事を答えた。
内容はやはり難しくうまく説明出来ない代わりに 読んだ感想だけ伝えた。
「へー。そっかぁ」
誉めもけなしもせず 「これ飲んでみな」
ておもちゃみたいな 小さくかわいいコーヒーカップに 真っ黒いコーヒーを淹れてくれた。
「?」の顔した俺に
「デミタスっていうの。えっ知らないの?お前はなんにも知らないなー。」
悪ガキみたいにイタズラぽく笑って 熱いコーヒー出してくれた。
そして
「『勉強』が出来る 出来ないってよくいうけど きっと『メモリー』の事指していってるんだろうな。きっとお前は『メモリー』より『CPU』が優れてるんじゃないの」
当時ウィンドウズのソフトを並んで買うニュースが流れ 「バーチャル」だとか「仮想空間」「インターネット」とか耳慣れない言葉がテレビや雑誌で飛び交ってた頃だった。
マスターが Mac触りながらハイパーカードいじって説明してくれたのに、 頭の悪い俺には チンプンカンプンだったけど、すごく嬉しかったの 覚えているよ 今でも。
言葉が光ってみえたよ
そんな褒めかた 知らなかったよ
背中のランドセルちゃんと下ろせたか、わからないけど 随分軽くなったよ その言葉で。
あなたみたいな大人になりたくて
憧れているけど 全然届かないや。
なりたい大人になりたいな
へこんでる子供たちが少しでも足取り軽くなれるよな あなたみたいな人にね
あの日はどんな天気か忘れたけど 思い出すたび ハレの日だったよ。
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