〔アナログデジタル〕(1)
基本的にアナログ人間ですので 「深み」「暖かみ」というフレーズに弱く 見えないものに とかく価値を求めてしまいます。
見えてる大切なもの程 無くして取り返しのつかない事に 初めて気づき 目の前に広がる、ゆくあてなき景色に 抱えた頭を 床にめり込ませて 絶叫のような溜め息をつく日々の繰り返しです
《脳内旅行の途中下車》
私は アナログ至上主義ではありません。 なんだかんだで 文明の利器を へっぽこよっぽこ触りながら 時代に引きずられる形で 日々を楽しく 過ごしています。
只今現在、家電における文明の利器の最たる物として《PC》がありますが、その《PC》を用いたラップトップノイズの先駆者的世界最高峰ノイズの「Merzbow (メルツバウ:秋田昌美氏が主催するノイズユニット)」は 他の追随をゆるさぬ孤高のミュージシャンではないでしょうか。
あえて 「ノイジシャン」と呼ばすです。というのも 私個人的に 最近なにが「ノイズ」なのか よく解らなくなってきたからです。
とはいえ、私は 音を語る時 気軽に「ノイズ」といっていますし、金属音がほぼメインのトラックなら すかさず「ノイズ」と語る節操のない私です。
*《無知無学》だからか 余計に「ノイズ」が解らなくなってきたのかもしれません。
最近は、爆音では聴かず 少し小さいくらいのボリュームで ノイズ(主にメルツバウ)を聴きながら 洗濯や料理をして 生活音との 〔ナチュラルミックス〕を楽しんでいます。
** Merzbowオフィシャルサイト http://merzbow.net/
〔アナログデジタル〕(2)
メルツバウの作品で 「MERZBEAR」(IMPORTANTRECORDs IMPREC136CD)という名盤があります。
カッコよくて、よく聴いてました。裏ジャケに一文掲載があり「養殖の魚を捕って食べた子熊が、人間に撃ち殺された。・・(以下略)」
ある時私は それを読みながら 二曲目を聴いていたとき、母熊の絶叫を聴いた気がして 思わず号泣してしまいました。
お酒など呑まず シラフで聴いてましたが 嗚咽を抑えることも出来ず ずっと泣いてしまいました。
たかが「ノイズ」 たかが「雑音」に こんなに心揺さぶられたのは 初めてで 戸惑いながらも 溢れる涙をとめられませんでした。
その後 音楽における自己催眠・自己暗示の恐怖も感じたのですが。(例えばアウシュビッツでの虐殺の時 ナチは クラッシックを聴いた後 昂揚した状態で その愚劣な行為を行ったと云われています)
SMにも精通する「メルツバウ」が、どういった経緯でアニマルライツ・動物愛護に至ったのかは定かではありませんが 「肉を喰うと血が穢れる」などとのたまう偏狭的な菜食主義者ではないことは明らかに、わかります。
そこに 音楽・ノイズの持つ 素晴らしさ 奥深さを感じずにはいられません。
〔アナログデジタル〕(3)
「非常階段 A STORY OF THE KINGS OF NOISE」 K&Bパブリッシャーズ
(JOJO広重氏 ・野間易行氏著のジョジョ広重さんのインタビューを軸に 現行全メンバーによる寄稿文が掲載されたヒストリー本 DVD付き)
― 日本のノイズ・インディーズ(自主制作)シーンに興味ある方は必読の書。
非常階段の音楽スタイルの基礎が明確かつ赤裸々に書いてあり 驚きと発見で埋め尽くされた 優れた作品です。(ぜひ 読んでみてください)
そこに同封されたDVDは 貴重なライブ映像が収められています。
とくに感動的なのが 「聖水ギグ」でのパフォーマンスで、どこか儚げで とても美しく感じました。
女性パフォーマーの方がステージからフロアーに降りた際の逃げ惑う観客の姿に 非常階段メンバーの方も好きな「ウルトラマン」や「ウルトラQ」に出てくる 可哀想な怪獣の物語を彷彿しました。
(もちろん 自分がその現場にいたら 真っ先に逃げていたと思いますが・・・ **「聖水ギグ」はYouTubeでも観ることができます)
また近年のライブ映像も収められており、 本のなかに書いてある「ロックのかっこいい所のみを ひたすらやり続ける」スタイルそのもので アグレッシブなメンバーを更に煽る もしくは メンバーに音と迫力で煽られてる 観客の皆さんが べらぼうにかっこ良くて。
非常階段の音やライブは「刹那の永続性」を観る者・聴く者に突き付けてくるように感じました。
《確か 哲学的に 時間の概念も「 途切れる事のない瞬間の連続性・永続性である」と聞いた事があります》
アナログの持つ肉体的な感覚を金属音や電子音で 揺り動かすようにも感じ、メルツバウとはまた別の魅力をもったノイズバンドだと思いました。
〔アナログデジタル〕(4)
今のDJさんの主流は《PC》みたいですね。
ヴァイナル(ビニールレコード)は既にマニアックなアイテムで CDすらオワコン(既に終わったコンテンツ)扱いです。
私は《PC》もしくはラップトップミュージックの存在を否定出来ません。
いずれ自分が使うことも否定出来ないからです。
まして大手メーカーもタンテ製造・販売から撤退している現状を考えるとなおのことでしょう。今後も技術の向上によりもっと使い易く音質も良くなり色んな事が出来るようになるでしょう。
人間は一度得た技術や知識を 簡単に捨てる事が出来ません。
それは歴史が証明しています。
文化・文明が消えるのは その種族が完全に根絶やしにされた時です。
しかし たとえ技術が躍進しょうがしまいが そこに〔人間〕が介在する限り 〔感動〕は決してなくなりはしないと断言します。
ラップトップノイズでも 人は感動出来るのです。そこに〔ヒューマニティ〕が流れていれば。
〔他者の事〕を〔我が事〕に引き寄せられているかどうかだと思いました。
もちろん〔行き過ぎた技術は 身を滅ぼす〕という 事実も拭い去る事は出来ませんが。
〔アナログデジタル〕(5:暴走する脳内電車の終着駅)
あるミュージシャンのコメントで「PCを使う音楽スタイルに興味なし」と書いてあり、いちリスナーとして、いち音楽ファンとして理解は出来るのですが非常に残念といいますか、少し寂しい気持ちになりました。もちろんその方の演奏スタイルとして「自分は使わないよ」的発言と解釈した上で。
どんな楽器使おうがどんな表現方法をしようが、そこに聞き手(他者)がいる限り、誤解や自己解釈も含めた《イメージ=幻想》がつきまとい、話し手(表現者)はそれを突き放す・無視する事も含めた〔向かいあう事〕の宿命を背負わざるをえないから。
どんな機材だろうが、アカペラや「無音」であろうが、それを「表現」として提示した時点で、他者は介在するから。
演奏形態は異なっても、機械制御(デジタル)であっても、そこに「人」がいる限り「表現 それと対峙する事」が避けられない、普遍性をもったものだと思ったからです。
うまく伝わったかな~
うまく言えたかな~
表現するって難しい
表現するって恥ずかしい
なのにどうして僕らは、話すことをやめないのだろう。
何万年かけて進化して、何千年かけて声を手にして、言葉を紡いで。
なんだか、人って楽しいな
悲しくてミジメで
たくましくって
かっこいくて
可哀想で
面白いな
ツラいけど。
なんだか「DNA」って究極のデジタルみたいだね。
途中下車のはずが また飛び乗っていました。 ご乗車ありがとうございました。 旅はまだまだ 続きます。
それでは今秋の「TREKs」でお会い出来る日を楽しみにしています。
「百聞は一見にしかず」ですね。
妄想と暴走と反省 僕なりのアンビエント
Simax
基本的にアナログ人間ですので 「深み」「暖かみ」というフレーズに弱く 見えないものに とかく価値を求めてしまいます。
見えてる大切なもの程 無くして取り返しのつかない事に 初めて気づき 目の前に広がる、ゆくあてなき景色に 抱えた頭を 床にめり込ませて 絶叫のような溜め息をつく日々の繰り返しです
《脳内旅行の途中下車》
私は アナログ至上主義ではありません。 なんだかんだで 文明の利器を へっぽこよっぽこ触りながら 時代に引きずられる形で 日々を楽しく 過ごしています。
只今現在、家電における文明の利器の最たる物として《PC》がありますが、その《PC》を用いたラップトップノイズの先駆者的世界最高峰ノイズの「Merzbow (メルツバウ:秋田昌美氏が主催するノイズユニット)」は 他の追随をゆるさぬ孤高のミュージシャンではないでしょうか。
あえて 「ノイジシャン」と呼ばすです。というのも 私個人的に 最近なにが「ノイズ」なのか よく解らなくなってきたからです。
とはいえ、私は 音を語る時 気軽に「ノイズ」といっていますし、金属音がほぼメインのトラックなら すかさず「ノイズ」と語る節操のない私です。
*《無知無学》だからか 余計に「ノイズ」が解らなくなってきたのかもしれません。
最近は、爆音では聴かず 少し小さいくらいのボリュームで ノイズ(主にメルツバウ)を聴きながら 洗濯や料理をして 生活音との 〔ナチュラルミックス〕を楽しんでいます。
** Merzbowオフィシャルサイト http://merzbow.net/
〔アナログデジタル〕(2)
メルツバウの作品で 「MERZBEAR」(IMPORTANTRECORDs IMPREC136CD)という名盤があります。
カッコよくて、よく聴いてました。裏ジャケに一文掲載があり「養殖の魚を捕って食べた子熊が、人間に撃ち殺された。・・(以下略)」
ある時私は それを読みながら 二曲目を聴いていたとき、母熊の絶叫を聴いた気がして 思わず号泣してしまいました。
お酒など呑まず シラフで聴いてましたが 嗚咽を抑えることも出来ず ずっと泣いてしまいました。
たかが「ノイズ」 たかが「雑音」に こんなに心揺さぶられたのは 初めてで 戸惑いながらも 溢れる涙をとめられませんでした。
その後 音楽における自己催眠・自己暗示の恐怖も感じたのですが。(例えばアウシュビッツでの虐殺の時 ナチは クラッシックを聴いた後 昂揚した状態で その愚劣な行為を行ったと云われています)
SMにも精通する「メルツバウ」が、どういった経緯でアニマルライツ・動物愛護に至ったのかは定かではありませんが 「肉を喰うと血が穢れる」などとのたまう偏狭的な菜食主義者ではないことは明らかに、わかります。
そこに 音楽・ノイズの持つ 素晴らしさ 奥深さを感じずにはいられません。
〔アナログデジタル〕(3)
「非常階段 A STORY OF THE KINGS OF NOISE」 K&Bパブリッシャーズ
(JOJO広重氏 ・野間易行氏著のジョジョ広重さんのインタビューを軸に 現行全メンバーによる寄稿文が掲載されたヒストリー本 DVD付き)
― 日本のノイズ・インディーズ(自主制作)シーンに興味ある方は必読の書。
非常階段の音楽スタイルの基礎が明確かつ赤裸々に書いてあり 驚きと発見で埋め尽くされた 優れた作品です。(ぜひ 読んでみてください)
そこに同封されたDVDは 貴重なライブ映像が収められています。
とくに感動的なのが 「聖水ギグ」でのパフォーマンスで、どこか儚げで とても美しく感じました。
女性パフォーマーの方がステージからフロアーに降りた際の逃げ惑う観客の姿に 非常階段メンバーの方も好きな「ウルトラマン」や「ウルトラQ」に出てくる 可哀想な怪獣の物語を彷彿しました。
(もちろん 自分がその現場にいたら 真っ先に逃げていたと思いますが・・・ **「聖水ギグ」はYouTubeでも観ることができます)
また近年のライブ映像も収められており、 本のなかに書いてある「ロックのかっこいい所のみを ひたすらやり続ける」スタイルそのもので アグレッシブなメンバーを更に煽る もしくは メンバーに音と迫力で煽られてる 観客の皆さんが べらぼうにかっこ良くて。
非常階段の音やライブは「刹那の永続性」を観る者・聴く者に突き付けてくるように感じました。
《確か 哲学的に 時間の概念も「 途切れる事のない瞬間の連続性・永続性である」と聞いた事があります》
アナログの持つ肉体的な感覚を金属音や電子音で 揺り動かすようにも感じ、メルツバウとはまた別の魅力をもったノイズバンドだと思いました。
〔アナログデジタル〕(4)
今のDJさんの主流は《PC》みたいですね。
ヴァイナル(ビニールレコード)は既にマニアックなアイテムで CDすらオワコン(既に終わったコンテンツ)扱いです。
私は《PC》もしくはラップトップミュージックの存在を否定出来ません。
いずれ自分が使うことも否定出来ないからです。
まして大手メーカーもタンテ製造・販売から撤退している現状を考えるとなおのことでしょう。今後も技術の向上によりもっと使い易く音質も良くなり色んな事が出来るようになるでしょう。
人間は一度得た技術や知識を 簡単に捨てる事が出来ません。
それは歴史が証明しています。
文化・文明が消えるのは その種族が完全に根絶やしにされた時です。
しかし たとえ技術が躍進しょうがしまいが そこに〔人間〕が介在する限り 〔感動〕は決してなくなりはしないと断言します。
ラップトップノイズでも 人は感動出来るのです。そこに〔ヒューマニティ〕が流れていれば。
〔他者の事〕を〔我が事〕に引き寄せられているかどうかだと思いました。
もちろん〔行き過ぎた技術は 身を滅ぼす〕という 事実も拭い去る事は出来ませんが。
〔アナログデジタル〕(5:暴走する脳内電車の終着駅)
あるミュージシャンのコメントで「PCを使う音楽スタイルに興味なし」と書いてあり、いちリスナーとして、いち音楽ファンとして理解は出来るのですが非常に残念といいますか、少し寂しい気持ちになりました。もちろんその方の演奏スタイルとして「自分は使わないよ」的発言と解釈した上で。
どんな楽器使おうがどんな表現方法をしようが、そこに聞き手(他者)がいる限り、誤解や自己解釈も含めた《イメージ=幻想》がつきまとい、話し手(表現者)はそれを突き放す・無視する事も含めた〔向かいあう事〕の宿命を背負わざるをえないから。
どんな機材だろうが、アカペラや「無音」であろうが、それを「表現」として提示した時点で、他者は介在するから。
演奏形態は異なっても、機械制御(デジタル)であっても、そこに「人」がいる限り「表現 それと対峙する事」が避けられない、普遍性をもったものだと思ったからです。
うまく伝わったかな~
うまく言えたかな~
表現するって難しい
表現するって恥ずかしい
なのにどうして僕らは、話すことをやめないのだろう。
何万年かけて進化して、何千年かけて声を手にして、言葉を紡いで。
なんだか、人って楽しいな
悲しくてミジメで
たくましくって
かっこいくて
可哀想で
面白いな
ツラいけど。
なんだか「DNA」って究極のデジタルみたいだね。
途中下車のはずが また飛び乗っていました。 ご乗車ありがとうございました。 旅はまだまだ 続きます。
それでは今秋の「TREKs」でお会い出来る日を楽しみにしています。
「百聞は一見にしかず」ですね。
妄想と暴走と反省 僕なりのアンビエント
Simax